大判例

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広島高等裁判所 昭和40年(う)114号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年に処する。

但しこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審並びに当審における訴訟費用中鑑定人に支給した分を除き、その余は全部被告人の負担とする。

理由

〈前略〉

所論は原判決が本件犯行を心神喪失中の所為と認定し、被告人に無罪を言渡したのは、採証の法則を誤り事実を誤認したものであるというのである。

そこで検討するに、原判決引用にかかる奥村二吉、岡本重一各作成の各鑑定書には、本件犯行時の被告人の精神状態につき、被告人は当時意識溷濁を伴う心因性朦朧状態、若しくは意識障害を伴う心因性精神病のため、是非善悪の弁別力を欠き、いわゆる心神喪失の状態にあつたと判断する旨の記載があり、また右各鑑定書の記載及び被告人の司法警察員や検察官に対する各供述調書、原審公判の供述等によれば、被告人の父方には、伯母とその孫など二人の自殺者があり、母方の従姉妹のうち一人は自殺し、他の一人は精神病者として永年入院していたことがあり、さらに被告人の末弟塚本益己は、昭和三九年以降精神分裂のため、精神衛生法に基づく強制措置により現在なお入院中であるなど、被告人に精神医学者のいわゆる負因の存することと、そして被告人もまた月経時においては特に心身共に不安定となり、粗野、放縦にして不安焦燥感が昂進し、刺激に過敏となり衝動的爆発的な反応を示す傾向を有し、本件犯行時は恰かもその月経時に当つていたことが認められるほか、被告人は起訴状記載のように、昭和三四年八月一五日午前七時頃、自宅炊事場において、佐平から肉体関係を求められ、押し倒されて姦淫されようとしたことに憤慨し、同人の頭部を薪をもつて数回強打した後、佐平が怒つて立ち上つたのに恐れ、自分の居室に逃げ帰つてから後暫時の間の自己の言動に関する記憶を喪失していて、その間一時意識朦朧状態にあつたと認められること、また本件犯行日の翌一六日、腐敗してゆく佐平の死体の処置に窮し、頭司を説得してその協力を求め、同日深夜、佐平の死体を密かに山中に運び出し焼却すべく、右死体を莚巻にして縛り、頭司と共にこれを自宅より四、五百米離れた山中の池の土手に運び出し、同所よりさらに自宅に帰つて右死体焼却用の薪を背負い前記土手まで運び終つた際、急に鼻より出血し休んでいるとき、これを実兄塚本悟、向井忠男外一名に発見され、「こらえて下さい。」と泣きながら詑び、同人等から「死んだ者は仕方がない心配せんでも良い。」と慰められるや、そのまま意識を失つたこと、及びその後本件が警察に発覚し逮捕勾留せられてからも二、三日のうちは、昂奮状態にあり心身共に衰弱の状態にあつたことなど、本件犯行当日午前中の被告人の心神の状況や犯行後数日間の心身の状況には、常人の同種犯行の場合に比し、かなり顕著な異状のあることが認められ、本件犯行時、被告人にかなりの精神障害のあつたことはこれを否定し得ないようである。奥村、岡本両鑑定人は、前記のような精神病質的負因、被告人の月経時における心身の変調、本件犯行前後の再度に亘る意識の朦朧状態ないしは喪失、逮捕勾留時における昂奮衰弱等を重視し、かつ「本件犯行についての記憶なし」という被告人の原審公判の供述、被告人の弁護人に対する供述調書及び鑑定人に対する同趣旨の供述等により、本件犯行当時、被告人は心神喪失の状態にあつたと結論しているのである。

しかしながら、〈証拠〉に徴してみても、本件犯行当日に至るまでは、被告人に精神病その他重い精神障害のあることを疑わしめる病歴も言動も見出すことはできず、むしろ知能は普通以上、勝気で快活明朗諸事に熱心な女性として永年通常人と変らない社会生活を営んでいたこと、また右各鑑定人の鑑定時においても、被告人の意識は清明、記憶、思考、判断、領解能力、見当識はいずれも正常、脳波に異帯なく、幻覚妄想等の病的症状もなく、意思感情両面に亘り異状の存しなかつたことが認められるばかりでなく、〈証拠〉を総合すれば、起訴状記載のように、被告人が自宅炊事場において佐平の頭部を数回強打した事実に関する被告人の記憶は、概ね正確具体的で、右殴打行為そのものを精神障害下の行為とはとうてい認め難く、その後前記説示の如く一時昂奮の余り居室において意識朦朧の状態に陥つたことがあるとしても、同日昼頃には既に快方に向い、和保や瑞保の二児に対し、昼食をするように勧めたり、「もう心配はいらんけん、盆ぢやけえお前は遊びに行け」とか、「怪しまれるけえ遊びに行け」などと促し、子供達の心配を軽減しようと努めたり、佐平との争い事が近所に知れることにつき細心の心遣を示して居り、さらに前記殴打のために負傷し、大声で痛を訴え近隣の者の救いを求めている佐平に気付くや、近隣の者がその声を聞きつけて立寄り、佐平から事情を聞くことにより争い事の知れるのを恐れ、不安の余り自宅前庭に出て警戒し、同日午後一時三〇分頃、佐平の右声を聞きつけて立寄つた向井忠男に対しては、「盆のことで朝一寸したことから小喧嘩をしたんで、面倒臭いから」と申し向け、佐平の相手にならないで早く立ち去るように促すなど、同様な立場に置かれた場合の常人と比較考合して、その言動はなお了解可能の限界内にあり、右限界を逸脱した異状な言動とまでは認め難いのである。のみならず、被告人は司法警察員や検察官に対し、本件殺人の犯行に至るまでの遠因、動機、決意、犯行の方法などを、かなり具体的にしかも概ね正確に供述していてその供述に格別不自然な点はなく、右犯行の一部を目撃した多尾頭司の司法警察員に対する八月二〇日付供述調書には「便所を出てからお母さんのことが気になるので、部屋に行つて見ると見えませんでした。これはお爺さんをやつたんではあるまいかと不吉な予感がしましたので、すぐ爺さんの居る母屋に行き、蚊帳をめくつて中に入りました。入る前お爺さんの足先が蚊帳の外に出て南東の方に向いていました。中に入つて僕の目に入つたのは恐ろしい光景でした。お母さんが中腰になつて、寝ているお爺さんの首を手拭で締めていたのです。僕はびつくりしてこれは大変なことだと思い、思わずお母さんに縋りついて、『こらえてあげて呉れ』と頼みました。お母さんは両手でしつかりと手拭の両端を締めたまま『わしはもうどうしても、こらえ切れんのぢや』と泣きながら悲壮な声で叫びました。そしてなおも力一杯締めて手を離しそうにないので、僕はこれ以上見るに忍びず、お母さんを両手でその場に突き転がしました。お母さんは手拭の両端をしつかりと持つたまま中腰の姿勢から尻餅をつきました。僕がこらえてあげて呉れと頼んだときには、まだお爺さんの足の筋肉はピクピク動いていましたが、お母さんを突き転がしたときにはもう動かず、ぐつたりしていました。お母さんは放心したような状態で蚊帳から出て離屋に帰りました。そして悪いことをしてしまつたとしきりに泣いていました。」との記載があり(とくに記録五〇丁以下)、また右供述調書に先つ八月一八日付の司法警察員に対する供述調書にも、頭司と被告人の応答や被告人の後悔の情につき、概略右同旨の記載(記録三五丁)もある。しかして右は本件殺人の犯行発覚後における最初の参考人調書であり、強制誘導等に基づく不実な供述とは考え得ないところであり、右各調書によつて認められる犯行時の被告人の応答その他の状況から判断すると、当時被告人はなお自己の行為の違法なことについて或程度の認識を有しながらも、激情に駆られて犯行に及び、犯行を終つた直後から後悔の念に暮れていたことが認められ、さらに前顕多尾瑞保、塚本悟等の供述調書によると、被告人は右犯行の当日から翌日にかけて、頭司や瑞保に対し「お爺さんを殺して悪いことをした。こらえて呉れ」と泣いて詑びたり、自首を勧める兄塚本悟に対しては、「自首する位なら二人の子供を殺して自分も死ぬる」と答えるなど、犯行中から犯行後における被告人の言動には、一般にこの種激情犯人に共通なものがあり、罪の意識の点も常人の全く理解し難い程異常な状態とは認め得ない。

もとより、被告人が本件殺人行為の当日午前中と翌一六日深夜の再度に亘り、意識朦朧状態ないしは喪失の状態に陥入つたこと、及び犯行数日後の逮捕勾留の初期なお興奮状態を示し、心身衰弱の状態にあつたことは、これを軽視し得ないところではあるが、当審被告人の供述によれば、被告人は少女時代より貧血症を有し、その発作により一時意識を失つた前例もあることが認められ、また前顕各証拠によると、被告人は犯行後不安心痛のため、逮捕に至るまで睡眠も食事も充分に摂らず、心身共に過労の状態にあつたこと、しかもその過労の状態の下で、人知れず佐平の死体を焼却しようと企てこれを他に運び去つた際他人に発見せられ、或は逮捕勾留されるなど、異常な精神的な衝激を受けていることが認められるのである。右のような諸般の事情を考えると、犯行当日午前中の意識の障害は兎に角、犯行後における心身の状況を過大視し、犯行時における被告人に心神喪失に相当する重篤な精神障害があつたとするわけにはゆかないと考えられる。

これを要するに奥村、岡本両鑑定人の鑑定結論はにわかに採用し難く、当裁判所は、むしろ当審鑑定人松岡竜三郎作成の鑑定書や奥村鑑定人の原審証言の如く、被告人の本件犯行時の精神状態は、未だ心神耗弱の域を出でないものと認定すべきものとする。

検察官の論旨は理由があり、原判決はこの点において破棄を免れない。

よつて刑訴法第三九七条等一項、第三八二条に従い原判決を破棄し、第四〇〇条但書に従い、当裁判所において直ちに判決する。

罪となる事実

被告人は昭和一五年一月一〇日頃、広島県御調郡御調町大字大原九〇七番地多尾佐平の長男多尾続喜と結婚入籍し、佐平方において同棲していたが、翌一六年一一月頃、夫続喜が軍の徴用により南方地域に出動してから後も、婚家に止まり夫の両親と同居し、家業の農業に従事しながら長男頭司を養育し、昭和二一年六月夫続喜が復員帰省するに及び、同人と再び同棲を始めるに至つたのであるが、続喜は自己の不在中被告人が他男と肉体関係を続け、私生児を産んだことを知り、同女を離婚しようとしたが、佐平が強くこれに反対したことから、遂には佐平と被告人との間をも怪しみ、続喜の帰郷の頃懐姙するに至つた胎児についても、それが自己の子ではなく、佐平の子ではないかと疑い、昭和二二年二月頃、佐平と被告人を残し、長男頭司母トモ(佐平の妻)の両名を伴つて岡山県児島郡え移居し、翌二三年二月二四日には正式に被告人と離婚の手続をし、爾来続喜もトモも再び佐平の許には帰らなかつたのであるが、被告人は佐平の強い希望により、多尾佐平の老後の世話や懐姙中の胎児を分娩養育するために佐平方に止まり、同人と同居し農業に従事していたのである。ところが、佐平は昭和三〇年頃より屡々被告人に肉体関係を迫り、被告人がこれを拒絶するや、自己の意に従わないと怒つて同女を殴打し傷害を負わせたこともあるので、被告人も佐平を嫌つて近寄らず警戒していたのであるが、昭和三四年八月一五日午前七時頃、突然居宅炊事場で佐平に襲われ、その場に押し倒され姦淫されようとしたために、激昂の末附近にあつた薪をもつて佐平の頭部を強打し、前額部等に負傷させその場から逃れ得たものの、その後佐平が大声で痛を訴え近隣の者を呼び寄せようとしていることを知り、被告人は自己が佐平を殴打し傷害を負わせた経緯が、近隣に露見しはしないかと不安焦慮の念に駆られる一方、従来屡々佐平から不愉快な肉体関係を迫られ殴打傷害まで加えられたうつ憤や、将来もまた同様な要求を受け争となる虞のあることなど思い患つているうちに、ますます昂奮し激情の赴くままに、佐平の殺害を決意し、同日午後四時前頃、前記住宅西棟の佐平の居室に到り、南向に座つている佐平の背後に近寄り、いきなり所携の日本手拭を同人の頸部に巻きつけて後頸部で結び、その両端を左右に力一杯引締め、よつてその場において間もなく佐平を窒息死亡するに至らせ、殺害の目的を逐げたものであるが、当時被告人は心神耗弱の状態にあつたものである。

〈中略〉

尊属殺人の訴因を排斤し普通殺人罪と認定した理由

原審記録中の戸籍簿謄本及び当審において取調べた養子縁組届書の記載によれば、昭和二三年二月二四日所轄奥村役場戸籍係に対し、被告人と多尾佐平並びに同人の妻トモとの間の養子縁組届書が提出され、その旨戸籍簿に登載されていることが明らかであつて、形式上、一応、被告人と被害者佐平夫妻との間に、養親子関係の存することは否定し得ないようにみえる。

しかしながら、刑法第二〇〇条の直系尊属に当るか否かは、これを民法の規定に従つて慎重に決定すべきものであつて、戸籍簿上の形式的な記載のみによつて軽々に判断し得ない事柄と考えられる。ところで前顕各証拠及び当審証拠調の結果を総合すれば、前記縁組当時における多尾佐平夫妻並びに被告人夫妻の関係は頗る複雑異常で、被告人の夫続喜は被告人の過去の不行跡を怒り、また被告人と佐平の仲まで疑つて、既に昭和二二年二月佐平や被告人を捨てて他に転居し、佐平の妻トモもまた続喜に従つて佐平方を出て続喜と同居するなど、一家は事実上佐平と被告人、続喜とトモと被告人夫婦の長男頭司の二派に分裂し、各別に生活を営みその間に往来もない状態で経過し、昭和二三年二月二四日の養子縁組の当日には、他方では正式に続喜と被告人の離婚届まで提出されていることが認められ、佐平の妻トモが、同居の上扶養を受けている長男続喜の感情に背いてまで、佐平と共に被告人を自分等の養子に迎える意思を有していたとはとうてい認め難いし、前記養子縁組届の筆跡印影、原審並びに当審における証人向井忠男、森小市及び被告人の供述に徴してみても、右縁組や縁組届に佐平の妻トモが関与した形跡はなく、むしろ佐平の強い希望により被告人もこれを承諾し、右佐平及び被告人両名及び地元の一部親族の意思によつて、右縁組届を作成提出したに過ぎないものと認められるのである。

してみれば前記養子縁組は、配偶者のある佐平が民法第七九五条に違反し、配偶者と共にしないで、単独で被告人とした無効な養子縁組(全体無効)というの外なく、たとい佐平と被告人との間に長年養親子類似の事実関係があり、また戸籍簿上養子縁組の記載があるとしても、右両者の間に刑法第二〇〇条にいう直系尊属対卑属の関係であつたとすることはできないし、また前記のように続喜と被告人の間に正式な離婚の手続がなされている本件の場合、佐平を被告人の配偶者の直系尊属と認めるわけにもゆかない。

以上により本件は通常の殺人罪として処断すべきものと考える。よつて主文のとおり判決する。(幸田輝治 浅野芳朗 岡田勝一郎)

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